名古屋駅から地下鉄東山線で15分の覚王山は、愛知県内で住みたい街ランキングでついに1位に輝きました。ここは古い街並みと共に高級マンションが建ち並び、どこか懐かしいお店があるかと思えばおしゃれなお店も存在する、色々な面を見せる街となります。古い街の中にデザイナーズマンションが建設されても受け入れられる懐の広さもあります。老後に住みたい街、女性が安心して住める街としても高いランクに位置づけられることから、治安の良さも伺い知ることができます。さらに古いアパートを解放してアーチストや芸術家を迎え入れる一面も見せています。そのような魅力ある街を形成するに至る経緯として、ふたつのポイントが挙げられます。
【日泰寺の存在】
1904年に創建された日泰寺、正式には1932年にシャムからタイに国名が変更されたことに伴い1941年にこの名称に変更されたものですが、この存在も大きなポイントとなります。そもそも仏舎利、つまりお釈迦様の遺骨を安置するために建てられたものです。仏舎利はほとんどが本物かどうか分からないほどに多く存在するものですが、この日泰寺におけるものは本物とされています。そしてこの日泰寺からの参道には、多くのお店が立ち並んでいます。この参道を中心として広がるのが覚王山商店街です。個性豊かなお店が並び、毎月21日には歩行者天国となって縁日による多くの露店も出店し、観光客で賑わいます。東京で言えば巣鴨の地蔵通りや、谷中の銀座商店街といった雰囲気でしょうか。日泰寺は文京区の護国寺にも似た雰囲気となります。
【高級マンション】
このような古き良き雰囲気とはまた異なる面も見せるのが、覚王山の魅力です。庭園を擁する料亭やレストランの存在、そして広小路沿いに建ち並ぶ高級マンションからなる住宅街です。このような地域が誕生したのにはそれなりの経緯があります。元々日泰寺の東側には百貨店松坂屋の初代社長が大正から昭和の初期にかけて所有する個人の別荘地が広がっていました。その敷地面積は実に1万坪以上と言われ、森を切り開いて作ったものとなります。そこには日本庭園や茶室、迎賓館などが30以上も建てられていたのです。ちなみに竹中工務店の創業者も、この建築に立ち会っていたとされています。やがて戦後に松坂屋の経営体制が見直されたことにより、この別荘は切り売りされて高級マンションに変わったわけです。そしてそこには当時の豪華さを残すかのように、料亭やレストランなどが点在しているわけです。
【日常と非日常が入り混じる街】
商店街にはエスニックなお店をはじめとして、実に多彩な顔ぶれとなるお店が並んでいます。昔懐かしい駄菓子屋があるのも、何となく安心できる理由ではないでしょうか。その一方で、裏路地に入ると景観は一変します。迎賓館か美術館かと思えるような邸宅が並びます。坂道が多いことからハイヤーなどの車も多く見かけます。この庶民的なエリアと高級住宅地エリアが同居するのが、覚王山の特徴であり魅力となります。そしてその古きものの中にも新しいものが常に生まれています。参道入り口にも、一階にお店の入るマンションが建設されたり、スタバもオープンするなど時代の流れに上手く融合しています。最新設備を備えたデザイナーズマンションも建設されています。この柔軟性も、このエリアが長く愛される理由ではないでしょうか。
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個別に見れば、東京でも似たようなところは多くあります。豪邸が建ち並ぶ点では渋谷区松濤や、文京区本駒込も古くからの屋敷が残る地域です。マンションで言えば港区麻布などがそうでしょうか。けれどもそこには、覚王山商店街のような庶民的な雰囲気はありません。また、覚王山春祭や夏祭、商店などがアートで彩られる参道ミュージアムなどのイベントが街全体を盛り上げます。新しいものを取り入れて訪れる人を楽しませてくれる街、その一方で古きものに見守られている安心感を得られる街、それが住みたいと思わせる魅力を醸し出しているのかもしれません。