ドラマの舞台としても脚光を浴びる名古屋の大須商店街は、ごった煮の街として多くの観光客を集めています。平日でもおよそ3万人、土日ともなれば7万人もの人が行き交うほどの活況をみせています。約1300ものお店が連なることも理由となりますが、その背景には斜陽の時代を乗り越えた多くの知恵が生かされています。
【大須商店街とは】
愛知県名古屋市中区大須の2丁目から3丁目に位置し、東西600mの通りが3本、南北に400mの通り2本から形成されています。そのお店は昔からの老舗のお店からB級グルメ、ファッションにサブカルチャーなど実に多岐にわたるものとなっています。芸術や文化にも深く関わるところは、東京の下北沢に通じるところがありますし、また神社仏閣もあるところなどは浅草をも思わせる部分もあります。けれども今でこそ多くの観光客を集めているこの商店街も、かつては斜陽化が進み危機感を募らせた時期もあったのです。
【大須商店街の歴史】
大須の歴史は古く、400年ほど前にまでさかのぼります。名古屋城が築城された2年後に岐阜羽島の大須観音が移転してきたことにより、この地域は大須と呼ばれるようになりました。そしてその大須観音から延びる門前町として、大須商店街が誕生したわけです。当時から文化や芸能の中心地として栄え、江戸時代に多かった見世物小屋や芝居小屋などの雰囲気は1950年代にまで続きます。日本映画の全盛期には多くの映画館と共にパチンコ店なども増え、大衆娯楽の街として人気を高めていました。けれども戦後の区画整理で大須と栄とに若宮大通りによって分かれてから状況は変わります。地下鉄東山線や名城線が開通し、名古屋駅や栄に地下街が誕生し、テレビの普及で映画人気も下火となるにつれて大須の人気に陰りが出るようになったのです。
【大須復活の秘密とは】
さらに1974年に路面電車が廃止されたことで大須への足はさらに遠のくことで、大須は多くの商店街が姿を消すこととなりました。けれども、ここにひとつの建物が建ったことで大きく事態が変わることになります。映画館の跡地に建設された、ラジオセンターアメ横ビルです。その数ヶ月前には地下鉄鶴舞線が開通し、商店街の西側に大須観音駅ができたことも追い風となりました。それまでの東側にあった名城線上前津駅と合わせて多くの若者が訪れるようになったのです。空き店舗には次々とサブカルチャーのお店が入るようになり、やがて秋葉原と日本橋に次ぐ3番目の電気街として生まれ変わったのです。
【大須商店街の試みとは】
さらに商店主が集まって、アクション大須というプロジェクトのもとに、様々なイベントを開催するようになりました。これが今も続く、大須大道町人祭へとつながり、毎年30万人ほどを動員する一大イベントとなっています。さらに土日限定の大須案内人を設けたり、観光客にアンケートを求めたりと、今も大須商店街を盛り上げるための取り組みが続いています。そして大須商店街は、渋谷109でも導入している画期的な方法で、その人気を維持し続けています。
【新たな魅了を生み続ける大須商店街】
大須商店街では毎年、数%の店舗が入れ替わっています。ごった煮の街としてあらゆるお店を受け入れる体質を持つことから、様々なアイデアを持つお店が出店するわけです。起業家も挑戦できる土台を提供することで、商店街自身も時代の流れに応じて常に変化を続けることができることになります。この古きものと新しいものとが同居しつつも、常に新しい発見を楽しむことができることが大須商店街の魅力となっています。そして趣向の異なる多くの人が訪れることによって、様々な趣向のお店がごった煮のように集まっているのです。それに加えて催されるイベントや縁日などが、長く大須商店街が愛される理由となっています。
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